田中聡祐さん
アマチュアU30の部で最高位を受賞したのは田中聡祐さん。ピアノを始めて23年、現在は公務員として働きながら研鑽を積む日々です。お仕事がお休みの日の昼下がりに、オンラインでインタビューに応えてくれました。
田中聡祐さん
ピアノとの出会いは5歳の頃。お姉さまが通っていたヤマハ音楽教室に、お母さまに連れられて同行したのがきっかけだといいます。当時の記憶は曖昧だと言いつつも、自然な流れで自分も鍵盤に触れるようになったと振り返る田中さん。物心ついた時にはすでにピアノを練習しているのが当たり前の日常であり、練習を嫌だと思った記憶もほとんどないとのこと。先に習っていたお姉さまがご両親から練習を促される姿を間近で見ていたこともあり、自分もやらなければならないというある種の義務感と、純粋に楽器に触れる楽しさが同居した幼少期だったようです。姉弟で同じコンクールに出場することも多く、田中さんはさらにピアノの深みへと進んでいくことになります。
小学校、中学校と、ヤマハの専門コースで聴音などの基礎訓練を徹底的に叩き込まれた田中さんは、いつしか「自分は音楽の道へ進むのだろう」と自然に考えるようになっていました。毎年決まった時期にコンクールを受け、それに向けて練習を重ねるルーティン。子どもの頃は緊張という概念すら希薄で、ただ無邪気に舞台を楽しんでいました。しかし、年齢を重ねるにつれて、その内面には変化が生じ始めます。コンクールで実績を残すようになるにつれ、次も結果を出さなければならないという無言のプレッシャーが、かつてはなかった緊張感を生み出していったのです。
毎日欠かさず、仕事終わりにスタジオへ通って練習する日々
大きな転機が訪れたのは高校3年生の時でした。それまでは音楽大学への進学を念頭に置き、高校2年生の終わりまで音大の教授に師事して本格的なレッスンを受けていた田中さん。しかし、将来を長期的な視で見据えた際、両親との話し合いの中で別の道が浮上します。音楽の世界で生きていくことの厳しさ、そして総合大学で広い視野を持つことの意義。兵庫県内でも屈指の進学校に通い、周囲の友人たちが猛烈に勉強に励む環境に身を置いていたことも、田中さんの背中を押しました。「自分も勉強を頑張ってみたい」というベクトルが芽生え、最終的に音大進学を断念。自らの意志で関西学院大学文学部、英文学科への進学を決意しました。ここで、田中さんの生活から一度ピアノの音が消えることになります。
大学卒業後、地元・姫路を離れ上京。「姫路城や町の風情、漂う空気感にいつも癒されます」
大学生、そして社会人として歩み始めた田中さん、コロナ禍も重なり、ピアノに触れる機会はほとんどなくなっていました。大学を卒業し、縁あって東京都大田区役所への就職が決まり、慣れ親しんだ関西を離れて単身東京へ。慣れない土地での公務員としての仕事、特に最初の1、2年は多忙な部署に配属されたこともあり、生活を整えるだけで精一杯の日々。ピアノのない生活が当たり前になりつつあった社会人3年目、田中さんの心を大きく揺さぶる出来事が起こります。
職場の先輩に誘われて足を運んだ、社会人吹奏楽団の演奏会。そこでクラリネットを吹く先輩の姿を見た瞬間、田中さんの胸に鮮烈な衝撃が走りました。音楽に没頭し、表現する喜びに身を投じているその姿が、眩しく、格好良く映ったのです。自分ももう一度、あの世界に戻りたい。心臓が震えるような感覚と共に、ピアノへの情熱が再燃した瞬間でした。すぐに指導者を探し、1年間の猛練習を経て、今回のコンクールへの挑戦を決めたのです。
現在、田中さんは現在の先生のもと、月2回のレッスンに通っています。その指導スタイルは非常にロジカルで、感覚的な表現だけでなく、曲の構成や音色の変化を論理的に分析し、納得感のある音作りを目指すというものです。その緻密な教えに、田中さんはかつてない充実感を覚えています。レッスンが終われば、忘れないうちに全てをメモに書き留め、次のレッスンまでには必ず修正して臨む、その真摯な姿勢は、仕事においても音楽においても変わりません。
日々の練習は、お仕事が終わった後、ほとんど毎日行っています。どんなに残業が長引いても、あるいは職場の飲み会があったとしても、田中さんはピアノを欠かしません。仕事終わりに音楽教室のレンタルスタジオへ駆け込み、1時間の練習をこなしてから帰宅する生活。飲み会がある日なら、その前に練習時間を確保するという徹底ぶり。1日でも練習を欠かせば感覚が鈍る、その積み重ねが崩れることが許せないという、自分自身に対する厳しさがそこにはあります。休日はさらに2時間から3時間の練習時間を確保し、平日には手が回らない細かなパッセージの克服に注力。まさに、生活のすべてがお仕事とピアノを軸に回っている田中さんです。
横浜、馬車道のストリートピアノ。「音の残響が印象的でした!」
今回、コンクール本選で演奏したのはリストの『ハンガリー狂詩曲 第10番』。実はこの曲、高校時代に一度コンクールで演奏したものの、納得のいく結果が出せずにいた、田中さんにとっての「不完全燃焼の曲」でした。今の先生のもとで、今の自分がどこまでこの曲を磨き上げることができるのか。リベンジの意味も込めて選んだ一曲。本番では、先生から受けたアドバイスを冷静に頭で反芻しながら、一方で襲いかかる猛烈な緊張感と戦い、今の自分にできる全てを出し切りました。結果、審査員からは特にその構成力の高さを評価され、最高の結果を手にすることとなったのです。
いつも支えてくれる職場の仲間たち。「尊敬する職場の先輩、同期、後輩のみんなです!」
大田区職員としての顔、そしてピアニストとしての顔。二つの顔を持つ田中さんですが、その境界線は決して断絶されたものではありません。ピアノを弾くことは、日々抱える疲れを浄化してくれる心の支えであり、同時に音楽で得た達成感が仕事への活力にも繋がっています。最近では、受賞をきっかけに区内の保育園などで演奏する機会も増えているとのこと。一人の公務員として、自分が持つピアノという技術を活かし、地域住民、特に次世代を担う子どもたちに音楽の楽しさを届けること。それは、田中さんにとって“自分にしかできない社会貢献”の形となりつつあります。
今では「大田区を“第二の故郷”と感じるほど愛着が湧いてる」と田中さん。地縁のない土地で温かく迎え入れてくれた職場や地域の人々、そして素晴らしい師との出会い。そんな一期一会の縁に感謝しながら、田中さんは今日も鍵盤に向かいます。今後については、「さらに多くの作曲家の作品に触れ、表現の幅を広げていきたいです。そして、音楽を憩いの場として感じられるようなまちづくりに貢献したいと考えています」と語ってくれました。
華やかなステージの裏側にある、日々の地道な努力と、論理に裏打ちされた知的なアプローチ。今回のインタビューを通して、その誠実なお人柄と音楽への純粋な情熱を強く感じました。地域に根ざし、音楽と共に歩む田中さんの今後の活躍から目が離せません。
全国大会での田中聡祐さんの演奏はこちら。
