齋藤恵里奈さん
一般プロU55の部、最高位はアメリカを拠点に活動する齋藤恵里奈さんです。人生の半分を異国の地で過ごし、現在は一児の母として奮闘しながらピアノに向き合う齋藤さんが、海の向こうからオンラインでインタビューに応じてくれました。
齋藤恵里奈さん
齋藤さんがピアノと出会ったのは、幼稚園に入る前のこと。自宅にあったキーボードに夢中になり、テレビや幼稚園で耳にしたメロディーを自然と両手で弾き始めていたといいます。ご両親は音楽の専門家ではありませんでしたが、楽しそうに鍵盤に触れる娘の姿を温かく見守っていてくれたそうです。幼稚園に入園すると、ヤマハのグループレッスンから本格的にピアノを学び始めます。最初の師である首藤早織先生は作曲を専攻されており、即興演奏やエレクトーンを交えた多彩なレッスンを通じて、「音楽は心から楽しいもの」という純粋な喜びを齋藤さんの心に植え付けてくださいました。
10歳頃からは、クラシック音楽への興味が芽生え、近所の石平久美子先生にも師事するようになります。首藤先生からは感性や創造性を、石平先生からはクラシックの基礎を、二人の恩師に恵まれ、齋藤さんは自由な感性を育んでいきました。しかし、高校生の頃、齋藤さんは深刻な摂食障害と鬱を経験します。それまでは生徒会や部活動に精を出し、天真爛漫だった少女が、ある日突然、特別な理由も無く全ての気力を失ってしまったといいます。
暗闇の中にいた齋藤さんを救ったのは、高校3年生の春休みに経験した、わずか2週間のアメリカへの語学留学でした。当時の齋藤さんは、鏡に映った自分の笑顔にさえも嫌悪感を抱くほどだったそうですが、言葉の通じないアメリカで、精一杯の笑顔で接した齋藤さんに、周囲は「君の笑顔はなんて素敵なんだ」と惜しみなく褒めてくれたのです。そして帰国後、摂食障害は劇的に改善し、齋藤さんは自分自身を取り戻すことができました。
思い出の留学先の舞台にて、教師・ピアニストとして再び立った瞬間
その後、東京のテンプル大学に入学を経てアメリカ・カリフォルニア州のカレッジへ編入した齋藤さん。当初は音楽を専攻するつもりはなく、アメリカへ移ってから一時期はピアノのレッスンからも離れていました。しかし、一般教養として履修した音楽のクラスで、音楽を通して自分らしくいられる喜びを再確認したのです。
「音楽の道で生きていきたい」そう決意した齋藤さんは、ピアノではなく声楽専攻としてアメリカの4年制の音楽大学へ編入しました。ところが、そこで出会ったピアノ科の教授たちが齋藤さんの才能を見出し、ピアノ科への転科を強く勧めます。そして、齋藤さんは再び鍵盤と向き合うことになりました。
人生初のオーケストラ共演、忘れられない舞台
大学時代の練習は、決して楽なものではありませんでした。基礎の不足を痛感し、大きな挫折も味わいました。しかし、その苦しみがあったからこそ、齋藤さんは練習方法や音楽の解釈を一から見直し、演奏家としての強固な土台を築き上げることができたのです。現在、アメリカでの生活は19年を数え、指導者としても大学での講義や個人レッスンなど、多忙な日々を送っています。
アメリカの自宅近くのバラ園で毎年残すという親子写真
そんな齋藤さんの生活を一変させたのが、4年前の息子さんの誕生でした。妊娠中から心臓疾患があることが分かり、生まれてからは壮絶な育児の日々が始まります。息子さんは感覚がとても敏感な特性があり、赤ちゃんの頃は1日10時間も泣き止まないほどの激しいパニックが続く毎日。異国の地で、頼れる親族も近くにいない中、齋藤さんは心身ともに追い詰められました。
ピアノに向き合える時間は、1日わずか30分。ゼロという日もありました。しかし、かつては「義務」のように感じていた練習が、今の齋藤さんにとっては、自分を取り戻すための唯一の「救い」へと変わったといいます。限られた時間だからこそ、楽譜の一音一音に込められた作曲家の意図を深く読み解き、インスピレーションを大切にする。そんな研ぎ澄まされた集中力が、本大会での快挙へと繋がったのでしょう。
本コンクールに出場した動機について、齋藤さんは「結果を求めるためではなく、演奏家としての自分をもう一度前に進めるため」だったと語ります。本番では、1曲目のスクリャービンで思うような演奏ができず、悔しい思いもしたそう。しかし、そこで集中を切らさず、続く『献呈』で音楽の世界に没入し、聴衆と響き合えたことが大きな自信となりました。「ミスタッチに惑わされず、音楽の本質を届ける」、その信念を舞台上で実践できたことが、何よりの収穫だったと振り返ります。
齋藤さんは現在、自分自身が恩師たちに救われたように、生徒一人ひとりの感性を大切にする指導を行っています。特に幼い子どもたちには、「その時にしか育まれない豊かな感性」を壊さないよう、あえて教えすぎない勇気を持つことを心がけているそう。一方で、思春期の生徒たちには、かつての自分のように悩む彼らの心に深く寄り添い、信頼関係を築くことを最優先にしています。技術を教える以上に、音楽がその子の人生の味方になるように。それは、齋藤さん自身が辿ってきた、痛みを伴う道のりがあるからこそできる指導の形なのかもしれません。

全国大会のための帰国時、息子さんの誕生日ディズニーでお祝い
一方で、プライベートでの楽しみのひとつとして、東京ディズニーリゾートが大好きだということも語ってくれました。かつては息子さんと一緒にパークへ遊びに行くことも叶わないと思っていたこともありましたが、今では帰国の度に息子さんと足を運び、一緒に楽しんでいるそう。そんなところにも、息子さんの成長の喜びを感じています。
そして今、齋藤さんの心には、一つの大きな使命感が芽生えています。それは、日本での「アウトリーチ活動」への挑戦です。「かつてハンガリーの巨匠リストが、晩年、無償で弟子たちに教えを授け続けたように、私も音楽を社会に還元していきたい」と、齋藤さんは力強く語ります。コンクールでの入賞や大きなホールでの演奏も大切ですが、齋藤さんが真に見つめているのは、音楽が最も必要とされる場所です。生まれ育った地元の多摩市をはじめ、学校や老人ホーム、地域の人々が集まる場所。そこへ、スタインウェイのような一流の楽器の響きを携えて出向いていきたい。コンサートホールへ足を運ぶことが難しい人々や、本物の楽器に触れる機会の少ない子どもたちに、音楽が持つ癒やしと力、そして「本物の響き」が世界を変えてくれる瞬間を届けたい、それが齋藤さんの音楽家としての決意なのです。
その根底にあるのは、齋藤さん自身の原体験。「10歳まで電子ピアノで練習していた私にとって、スタインウェイのような本物の楽器との出会いは世界を劇的に変えてくれました。もし幼い頃にこうした豊かな響きを聴く機会があれば、音楽をもっと好きになる子がたくさんいるはず」と、確信に満ちた表情を見せます。
多忙な日常を送りながらも、今後のご自身の音楽家としての活動についてもしっかり見据えていらっしゃる齋藤さん。遠くアメリカから日本の地方にまで音楽を届けようとするその信念に感銘を受けました。今後、日本でまた素敵な演奏を聴かせてくれることを願っています。
全国大会での齋藤恵里奈さんの演奏はこちら。
